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私の病歴31

●平成18年9月


退院はしたものの、何か気になって、しょっちゅうお腹の傷を見ていた。

とりあえず塞がったものの、食事を始めてまた開かないか心配だった。


そして私の嫌な予感は的中した爆弾


お腹の傷口が盛り上がってきていた・・・しょぼん

退院してまだ2日しかたっていなかった。

とにかくまた絶食して、エレンタールだけに切り替えた。

そして病院へ行った。

外科の先生に診てもらったが、予想通りまた瘻孔が出来ていた。


皮膚瘻の傷口は盛り上がってきていたが、閉じたところだったので、薄い皮一枚で塞がっていた。

中からの圧力で、自然にはじけて、少しだけ膿が出た。

しかし、本当に針でちょっとつついた程度の穴が開いているだけなので、なんとか塞がりそうだった。

でも、また開いたというのがショックで、落ち込んでしまったしょぼん

食事を開始したのが、早すぎたのか・・・自己嫌悪だった爆弾



先生は、退院したところだし、また入院というのも気が滅入るだろうから、家で自宅療養したらいいと言ってくれた。

入院しても、エレンタールをするだけだし、これなら家でもできるから、と。


そして、また長い絶食生活が始まった。


病院と違って家にいれたので、気になっていた家事ができるのがありがたかった。

主人のお弁当を作ったり、ご飯を作ったり、洗濯したり掃除したり・・・

日中に動きすぎるとカロリー不足でしんどくなるので、あんまり家から出ることもなく、プチ引きこもり状態だったガーン

夜に鼻チューで、エレン1500kcalを入れていた。


食事を止めて1週間もしないうちに、傷口は塞がった。

しかし、今度は慎重にしばらく絶食を続けた。


日中は暇だったので、以前から興味のあったブログを始めたり、昔作りかけていたパッチワークの壁掛けの続きをしたりして過ごした。


自分は食べないのに、食事を作るというのは大変だね・・・とよく言われたが、そうでもなかった。

絶食中って、食べ物に対する欲が高まるアップ

だから、料理をすることによって、嗅覚や視覚で楽しむことが出来たニコニコ

味見に困ったけど、飲み込まないようにして吐き出したりしていた。


そして、絶食3週間を過ぎたところから重湯を開始した。

久しぶりにお米の味を感じられたので、幸せだったラブラブ


絶食を始めて1ヶ月後には3分粥を開始した。

固形物を食べるのは何となく怖くて、また傷口が開かないか、お腹の傷口を確かめる癖がついてしまった爆弾


順調に5分粥まで上げたところで、やっと復職できたクラッカー

入院から2ヶ月が過ぎていた。


以前に皮膚瘻になったときは1年休んだけど、今回はT先生の言うとおり早く塞がったので、2ヶ月のお休みで済んだキラキラ

病気休暇は10月いっぱいまであったけど、仕事が気になっていたので、2週間早く出勤した。


今となっては、2週間早く出てて、本当によかった~と思うくらい仕事が大変だったメラメラ



これで、私の長~い病歴の全部を書きました。

ここから先は、また何か起きたときに書いていきます・・・が、これ以上何も起きないことを祈っていますキラキラ



しかし、改めて自分の病歴を振り返りながら書いていると、本当にいろんなことがあった14年でした。

辛いときもいっぱいあったし、泣いたときもいっぱいあるけれど、私は自分のことを不幸だとか運が悪いとか思ったことは一度もありません。

キレイごとを言うわけではないけれど、本当にそう思うのです。


健康な体でも、心が満たされず、幸せを感じていない人もいるでしょう。

それと同時に、体が健康でなくても、心は満たされている人もいるでしょう。

人間の幸せなんて、その人その人の価値観で大きく変わるものだし、誰かと比べるものでもない。

運がいいとか、運が悪いとか、感じるのはそれぞれの人によって違うものです。


「僕はあの人よりは運がいいキラキラ」と思っていても、当の本人は自分が運が悪いと感じていないかもしれないのです。


誰かと自分を比べるのではなく、大切なのは自分がどう生きたいのかであって、自分の望む生き方が出来れば、それは「幸せキラキラ」と言えるのではないでしょうかニコニコ


長い病歴を全て読んでくださったかた、本当にありがとうございましたドキドキ


私の病歴30(14回目の入院)

●平成18年8月


T先生の言われるとおり、日中は絶食で夜間にエレンのみの絶食生活が始まった。

私はエレンは絶対に飲めないので、夜間のエレンに頼るのみだ。

しかし、仕事に行く都合上、夜間にできるのは5包が限界だった汗

真夏だったので、かなり暑くて、しかも日中何も食べないので2~3日で体は衰弱していった・・・爆弾


血液検査の結果を聞くために、S病院に電話した携帯

検査の結果は、栄養状態もいいし、CRPもたいしたことない。13因子も欠乏していないので、このまま絶食で頑張れば、皮膚瘻も閉じるだろう、とのことだった。

また2~3週間後に電話するように言われた。

遠くの病院なので、定期的にずっと通うのは大変だけど、こうやって電話で話せるというのは本当にありがたいことだった。

日本で一番忙しくクローン患者を診ているはずなのに、本当に偉そうなところもなく、患者思いのいい先生だったニコニコ


しかし・・・体力的にはすでに限界だった爆弾

暑さのせいか、吐き気が治まらず、鼻からチューブを入れることも出来なくなった。

エレンのみの絶食を始めて5日ほどしたある夜中に、具合が悪くなって病院へ行った。

先生は入院を勧めた。

入院は嫌だったが、鼻チューが出来ないとなると仕方ない。

観念して入院することになった。14回目?の入院だった。


入院は、消化器病棟がいっぱいということで、空きベッドのあった整形病棟に入院した。

IVHを覚悟していたが、先生があまりにも忙しすぎて、IVHを入れる時間がないとのことで、抹消からの普通の点滴だった。

1日して、少し吐き気が治まると、早速エレンタールを開始した。


夏場の入院は、病棟のクーラーが夜中で切れると暑くて眠れないのが難点だったむっ

本当は、朝の9時~夜の9時でクーラーが自動的に切れるのだが、あまりにも暑いせいか、夜は1時までクーラーが入っていた。

朝は7時からクーラーが入った。

夜中1時でクーラーが切れると、決まって2時か3時に目が覚め、そのあとは暑くて眠れなかった。


2週間ほど絶食をしたら、皮膚瘻は塞がり、カサブタになったひらめき電球

途中は、夜中にエレンを吐いたりしたこともあったけど、なんとか続けてこれた。

T先生の言うとおり、2~3週間で塞がったので驚いた!

1度目の皮膚瘻は、閉じるまで何ヶ月もかかったので、今回は本当に早くてビックリした。


食事を始めるかどうかで、主治医の先生が、T先生に電話で相談してくださった。

重湯からゆっくり始めよう、ということになり、重湯を2日、3日目から3分粥になったわんわん

順調にいったので、月末に退院することができた。

3週間の入院だった。

こんなにスンナリいくなんて・・・・と、どこかで疑っている自分がいたガーン






私の病歴29(2度目の皮膚瘻)

●平成18年6月


お腹の腫れを切開・排膿してから2週間ほど過ぎた。

普通の皮下膿瘍だったら、切開して2週間もすればカサブタ化するということだったが、予想通り閉じる気配はない。

ただ、本当に小さな穴だったので、1度目の皮膚瘻(ドレーン創に出来た)ほど、浸出液も出てこなかった。

しかし、一向に閉じる気配もない。

これはやはり皮膚瘻だと確定するのに、そう時間はかからなかった。


ここで、私はあることをした。

これはお勧めできる方法ではないので、みなさんは決してマネしないように爆弾


1度目の皮膚瘻のとき、海苔つきのおにぎりを食べたおにぎり

すると、小さな海苔の欠片のようなものが、皮膚瘻のところから出てきたのだった。

これは腸とつながっているということだ。

これを思い出し、今度も海苔つきのおにぎりを食べてみたおにぎり

すると・・・・今回も、海苔の欠片のようなものが、ガーゼについていた・・・・・しょぼん


これが決定的となった爆弾

一瞬にして、「また入院なのか!?」とか「どれくらいかかるんだろうか」とかがグルグルと頭を回り、これでまた妊娠の許可が下りなくなる・・・と絶望的な気分になっていた。


それでも、今回の皮膚瘻は、全く腹痛もなく、あれだけ膿が溜まっていたのに熱さえ出なかったのだ。

本当に予想外の皮膚瘻だっただけに、ショックも大きかった。


しかし、お腹の傷から何かがダラダラと流れてくるだけだったので、仕事は休まずに行った。

7月には、北海道に旅行する予定で、もう予約も入れていたので、北海道にも行きました飛行機

温泉に入れなかったのが悲しかったけど・・・・しょぼん



●平成18年8月


皮膚瘻が決定的になったとき、私の主治医の落ち込みようといったら・・・・本当にガックリと肩を落とし、頭はうなだれていたしょぼん

先生も、6年前のときの長かった闘病生活を思い出してしまったんだろう。

本当は、医者が患者に対してこんな姿を見せると患者さんは不安になるので、よろしくないんだろうと思うけれど、先生とは信頼関係が出来ているので、身内のように一緒に喜び、一緒に悲しんでくれるのだ黄色い花


先生は、入院して絶食・IVHをするように言った。

しかし、今回の入院の前に、一度新宿のS病院を受診したいと先生に言った。

特定疾患の更新書類が来ていたので、S病院のハンコをもらいにいかないと行けなかったし、そのときに皮膚瘻も診てもらおうと思ったのだ。

病院がS病院に連絡を取ってくださり、外来時間でもない午前中に先生に診ていただけることになった。


8月2日、上京した。

T先生に診ていただいた。

先生は、皮膚瘻を見た瞬間「あ!唇状瘻(しんじょうろうやな。これは大丈夫やニコニコこれはすぐに治る。そんなにびびらんでも大丈夫ビックリマーク」と言った。


皮膚瘻の形にもいろいろあるんだろうか。

唇のように盛り上がっている傷口を唇状瘻というそうだが、これは治りやすいらしい。

先生は、お腹周りを丁寧に抑えられて、硬いシコリがないことを確認した。

「硬いところがあったら、まだ閉じへんのや。もう硬いところもないし、大丈夫。これは閉じるで。」と。


気になっていたことを聞いた。

「先生、今回全く腹痛もなかったんですけど、こんなに簡単に腸に穴が開くもんなんですか?」

すると、「ついとんやニコニコ

の一言だった・・・

ついている・・・そう、ついているのか・・・・得意げ

しかし、皮膚瘻になったこと自体はついてないじゃん・・・汗

「しばらく食事は我慢してな。まあ、食べながらでも閉じる人もおるけどな」って。

食べながら閉じる人がいるなんて、信じられなかった。


そして・・・「子供、産めるから産みなさいよ」ってまた言ってくださったしょぼん

でも皮膚瘻になったから・・・というと「皮膚瘻が治ってからのほうがいいけど、治ったらすぐ作ったらええニコニコ」って。

地元の病院のT先生は、クローン患者の妊娠をみたことがないせいか、妊娠・出産には消極的だが、全国で一番たくさんのクローン患者を診ているT先生に言われると勇気が出るラブラブ

収穫の多い、診察だった。



皮膚瘻に関しては、結局、入院の必要はないと言われた。

10日~2週間ほど絶食し、エレンタールだけで頑張りつつ、先生に処方された数種類の薬を服用するように言われた。

血液検査もしたので、来週に結果を聞きに電話をしてくるように言われた。


絶対に入院だと思っていたので、一気に心が軽くなった音譜

本当に上京してよかったニコニコ

その後、地元の病院でT先生のお返事を主治医に渡し、T先生の言われる方法でやってみることにしたひらめき電球

わたしの病歴28(2度目の皮膚瘻)

●平成18年6月


仕事はそんなに忙しくはなかった。

しかし、教育委員会というところは休日勤務の多いところだった汗

週末は毎週のように何かのイベントが入っていて、職員の動員がかかるのだ。

皆さんの身近なイベントで言えば、成人式とか。

1月におこなう成人式でさえ、夏の段階ではもう準備に入っている。

今年は兵庫国体もあったせいか、なんだかんだと休日出勤していた。


休日勤務したからといっても、超過勤務手当てがつくはずもない。

全て代休で処理されます。

しかし、実際のところ代休を取る暇もなく、気付けばず~っと休みを取らずに働き詰めってこともあった。


そんなある日のことだった。

ふとお腹を見ると、おへその下が赤くなっていた。

去年ストーマのオペをしたときに大きく切開したお腹の傷口だった。

1年以上も前のオペだし、傷口はしっかりと閉じていた。

しかし、何か気になるのだ。

赤く腫れているように感じた。

指で押してみると、なんだか硬い・・・ような気がするのだ。


考えすぎならいいんだけど、なんだか嫌な予感がした爆弾

そのうち、赤く腫れているのは気のせいではないと自信を持って言えるほど、腫れは大きくなってきた。

何もしていないと平気だけど、押すと微妙に痛みを感じる。

これは・・・これはまさか・・・・皮膚瘻では・・・・!?


一瞬にして、6年前の皮膚瘻のときを思い出した。

あのときは、H医大に転院したり、B病院に転院したり、病院ジプシーだったガーン

何だかんだで結局1年間も休職したのだった。


これがもしも皮膚瘻なら、また長期入院!?

秋に国体があるし、これからもっと忙しくなるのに、今休めない。

どうしよう・・・

いろんな思いが頭の中をグルグル周り、泣いてしまったしょぼん


とりあえず、泣いていても仕方がない。

膿が溜まっていると思うので、切開できるまで待った。

そして腫れが大きくなったところで外科を受診した。


外科の先生は、腫れている部分のエコーをして、明らかに膿か何かの水が溜まっているように映っていると言った。

しかし、いきなり切開・・・というのも何だかな~ということで、注射針を刺すことになった。

針を刺して、注射器を引いてみて、膿が返ってきたら明らかに膿瘍が出来ている・・・ということらしい。


お腹に麻酔をして、針を刺されたショック!

麻酔がちっとも効いていな~いあせる

麻酔も大概痛かったけど、針をお腹に突き刺されて、まさぐられるのもとっても痛かったメラメラ

先生、痛いっ!痛いんですけどっ!

なんど言っても、「うん。うん。」って聞いちゃくれない爆弾


結局、まだなにも出来ないということで、もう少し様子をみてくれと言われた。

なんだかな~・・・・むっ


それから1週間もしないうちに、お腹の腫れはMAXになっていたパンチ!

今度は、前と違う先生の日を選んで外来に行ったあせる

結局切開してもらい、今度は膿が出た。


問題は、これが閉じるかどうかだ。

これがいつまでも閉じずにダラダラと何かが出てくるようだったら、腸と繋がっているということだ。

しかし、私の勘は当っていた。

予想通りの皮膚瘻だったのだ・・・・しょぼん


私の病歴27(てんかん編)

●平成18年4月~5月


テグレトールを飲んでから、あることに気が付いた。

音が・・・・・音がおかしく聞こえるのだ爆弾


正確に言うと、音が半音ほど下がって聞こえる。

♭がついて聞こえるのだ!


最初に気付いたのは、テレビのCMの音楽だった。

いつも聞きなれている音楽に全て♭がついているように下がって聞こえた。

その次は携帯の着信音だった。


不思議と、人の話し声とかは普通に聞こえた。

♭がついて聞こえるのは、音程のあるものだけだった。

とにかく気持ち悪くて気持ち悪くて、テレビの音楽番組も見れなかった。



中学生のとき吹奏楽部で、クラリネットを吹いていた音譜

そのせいか、音感には自信があったのだ。

合奏の前にはチューニング(調律・楽器の音あわせ)をするけれど、この半音下がって聞こえる状態は、チューニングが合っていないのに合奏しているように聞こえた。

これは、テグレトールの副作用なんだろうか?


外来に行ったとき、先生にこのことを伝えた。

しかし、先生は「そんなことを言ったのはあなたが初めてだ」と言った。

テグレトールの副作用で、音がおかしく聞こえるなんていう人はいないらしい爆弾

薬の辞典のような本で調べてくださったが、確かに載っていなかった・・・・汗


家に帰ってからネットで調べてみると、テグレトールを飲んで音が変に聞こえるという人は、意外にもたくさんいたひらめき電球

私だけじゃないんだ~と思って、ちょっと安心した。


その次の外来で、このことを伝えると、前回よりもさらに分厚い薬の本で調べてくださった。

そこには、テグレトールの副作用がぎっしりと書かれていたショック!

その一番最後に・・・・・聴覚異常と書いてあった。


先生もビックリしていた。

副作用というのは、命にかかわるような重篤なものを言うことが多いので、聴覚異常のように命にかかわらないものは大きく扱われないのかもしれない、と言われた。

とりあえず、気のせいではないことがわかって安心したニコニコ

先生は最後まで驚かれていたガーン


この音の気持ち悪さは半端ではなく、カラオケに行ったときも全て低く聞こえるので、キーを上げていた。

しかし、薬を飲んでいない周りの人からみて、私のキーは合っていたんだろうか・・・ガーン

正しい音が聞き取れないって、意外に辛いものだった。


今は、普通の音程で聞こえるようになった。

いつから治ったのかよく覚えていないけれど、ある日携帯の着信音が普通に聞こえていることに気付いて、治っていることに気付いたのだ。

2~3ヶ月ほどで治ったようだキラキラ

治ったのか、慣れたのかは定かではないけれど・・・・あせる


私は側頭葉てんかんと言われているが、そもそも側頭葉とは脳の中で聴覚を司るところだ。

てんかんの薬は、脳の痙攣を抑えるくすりなので、この側頭葉の働き自体をセーブしてしまうのではないのだろうか。

そのため、聴覚を司る側頭葉の働きが鈍くなり、聴覚異常が起こるのではないだろうか。

これは私の勝手な推理なんだけどねあせる



テグレトールの副作用は、デパケンよりも多く感じた。

デパケンを飲んでいたときよりも、眠気がひどかったし、これも慣れるのに時間がかかった。

デパケンのほうはほとんど副作用がないように感じたけれど、妊婦にはデパケンよりテグレトールのほうがマシらしいし、薬ってわからないものだなメラメラ


これで、妊娠への許可がやっと出た。

6月になっていた。

しかし、また、私の妊娠計画を阻む事件が起きた。

もう、ほんとに嫌になるわガーン