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私の病歴⑰(6回目の入院・皮膚瘻編その3)

●平成13年1月


私と同じクローン病の男の子は、白血病を併発していた。

正式な病名は、「急性前骨髄性白血病」というそうだ。


白血病・・・と聞いただけで、まだ話したこともないその子のことがとても気になった。

彼は個室・・・いわゆる無菌室状態にした部屋にいた。

当然、話せるような状態ではなかった。


夜、エレンタールを作るために病棟の食堂へ行くと、そこでエレンタールを作っている女性がいた。

ミキサーを持ち込んでいて、エレンタールをミキサーに入れて攪拌していた。


・・・す、すごいな~・・・私なんか、ボトルに入れてシャカシャカ振るだけなのに・・・・

と思いつつ、エレンタールを作っているというのは、間違いなくクローンだな、と思った。

その女性と目が合い、話をしたら、やっぱりそうだった。

彼女は、白血病で個室にいる彼の奥さんだった。


同じ病気だということで、そこでいろんな話をしていたが、患者本人は個室に入ったままで、直接話をすることはなかった。

でも奥さんが、「どうぞ、部屋にきてください」と言ってくださり、恐る恐る個室へ行くことになった。


当時、彼は24歳。私より4歳年下だった。

病歴は私と同じ8年くらいだった。

高校1年生のときに痔瘻になり、オペをしたそうだ。

最初の病名は潰瘍性大腸炎だったそうだが、何年かして途中でクローン病だと言われたそうだ。


彼は、同じ市内の別の病院にかかっていた。

体調不良で、医者にはずっと訴えていたそうだが、クローンだから具合が悪いんだ・・・ってかんじでキチンと話を聞いてもらえなかったようだ。

結婚したばかりの新婚さんで、第1子が生まれたところだったので、しばらく無理して頑張っていたようだが、具合は悪いままだった。

そこで、誰かに評判を聞いて、私のいるこの病院へやってきて、入院になったそうだ。


入院も、しばらく体調を整えるためにゆっくり休もう・・・というのが目的だったようだが、彼の体調に異変が生じた。

血液検査をするのだが、白血球の数値がおかしいのだ。

あまりにもおかしいので、何度か採血したようだが、やはり数値が異常値だったそうだ。

そこで、骨髄穿刺(マルク)という検査をしたそうだ。


これは、胸のみぞおちのあたりの胸骨に針をさし、骨髄を採取する。

採取した骨髄の中に、白血病細胞がないかどうか調べる・・・という検査だそうだ。

普通に抹消からの採血では白血病細胞が見つからないことも多く、胸骨からは見つかることが多い。

別名、マルクというそうだが、このマルクはかなり痛いそうだ。


うちの病院には、血液内科もあったのでそちらで白血病のほうを診てもらうようになったのだが、彼の主治医は研修医だった。

この研修医の先生・・・かなり頼りなかったガーン

今ではこの先生も消化器内科専門医として活躍しておられるようだが、彼を病院で見かけるたびに、このときのことを思いだしてしまうのだった・・・汗


この痛いマルクの検査を、この先生はことごとく失敗されたようだ。

そのたびに彼はかなりの苦痛を味わったことと思う。

そして、検査の結果、病名が判明したわけだが、その病名告知もまた最悪だったそうだ。


ふつう、病名告知するときって別室に呼ばれたりするものだが、この研修医は彼のベッドサイドで「白血病でした」とのたまったらしい爆弾

ちなみに彼は4人部屋だった。

同じ部屋にいた周りのおっちゃんたちも、みんな度肝を抜かれたことだろう・・・ガーン

彼も、泣きたくても泣けなかったに違いない。


こうやって、彼は白血病発見にいたるまでの話をしてくれた。

白血病のため、彼は抗癌剤治療を始めていた。

抗癌剤といえば、髪が抜ける。

そのために彼は、いさぎよく頭を丸めていた。

そして自分のことを「一休と呼んでください」と言った。


自分が今一番つらいときのはずなのに、彼はいつも周りに気を遣っていた。

クローンの治療は一時ストップして、白血病の治療ばかりしていたが、白血病になり不思議なことにクローン病の活動が弱まって

いた。

抗癌剤により、体の免疫力が落ち、細菌等に感染しないためにクリーンルームにいるのだが、免疫が落ちたことでクローン病の勢いも治まっていたのだ。

主治医は、今は何でも好きなもの食べたらいいよラーメンと言ったそうだが、抗癌剤による吐き気で何も食べられず、一生懸命エレンタールを頑張っていた。


私と一休はすぐに仲良くなり、私は毎日のようにIVHを引きずって彼の部屋に遊びに行っていた。

完全な無菌室ではなかったので、部屋に入ることを許されていた。

しかし、彼の部屋に入るときは手を消毒し、割烹着とマスク着用だった。

抵抗力の落ちている彼の部屋に、ばい菌を持ち込まないためだ。


彼は、自分が白血病になったというのに、いつも穏やかだった。

少なくとも私にはそう見えた。

私がもし白血病だと言われたら、彼のように落ち着いていられるだろうか・・・いつもそう思っていて、彼の事を本当に尊敬した。

彼の精神力には脱帽だった。

そして、彼をサポートする奥さんも、本当にステキな人だった。



外来日

昨日は外来日だった。

10日間、ずっとエレン5包+重湯・・・の毎日で、皮膚瘻は相変わらず閉じたまま。

外来に行くと、先生が「今日から5分粥にしよかニコニコ」って。

先生・・・いきなり5分粥は怖いっすガーン1ヶ月近く、何も固形物食べていないので、3分粥からでいいです・・・・


ということで、3分粥から開始ということになったクマ

さっそく夕食から開始。

3分粥とお味噌汁、おかずは1品だけ(少量)から始めることにした。

高野豆腐を卵で閉じたものです。


本日の夕食


ちなみに、お味噌汁の具は、大根とニンジン少量です。少量のため、沈んじゃって見えない・・・ガーン

今回は慎重にじっくり食事を上げていくぞ。

また皮膚瘻開いちゃったら、また振り出しにもどっちゃうからな~。

それにしても、食べるのが怖くってあせる

たったこれだけの食事を、1時間近くかけて食べました。

でも、たったこれだけなのに、胃がかなり小さくなっているせいか、お腹いっぱいになりました。

1ヶ月ぶりの食事はおいしかった~~ラブラブ


3分粥を1週間続けて、来週の金曜にまた外来に行きます。

そのときに、変わりなしだったら5分粥に上げます。

いよいよ復職も見えてきたかな~~~~?



それにしても、昨日の阪神の試合には感動したなキラキラ

ぜひ優勝してほしいもんです(中日ファンの人ごめんなさいあせる

テレビ

昨日の日記に書いた、B病院のO先生が夜のテレビ番組に出ていたテレビ

(現在は開業されていて、もうB病院にはいらっしゃいません)

芸能人の1週間分の食生活を見て、5年後、10年後、その人がどんな病気にかかるのかを予想するという番組だナイフとフォーク

それにしても・・・杉本○とか松本○代とか、かなりの肉食で驚いたショック!

どちらも、魚のメニューがなかった気がする。○代ちゃんのほうは、朝食で塩鮭が出てたかも?

杉本○にいたっては、深夜に焼肉三昧。

羨ましいような恐ろしいような・・・

よくこんなにお肉食べててクローン病にならないよねプンプンって、テレビに向かってさけんじゃったよ汗


まあ、クローン病の原因がはっきりとはわかっていないので、必ずしも肉食の生活が引き金になるとは思っていないけど、クローンの人って、肉食だったって人が多いですよね。


そういう私もかなりの肉食だったな~。

中学時代や高校時代は部活でお腹がすくし、お肉じゃなければおかずじゃないような錯覚もおこしていたガーン

お魚やうどんのようなあっさりしたものじゃ、お腹にたまった気がしなくて、魚より肉・うどんよりラーメン・・・というふうに、こってりした食べ物が好きだったラーメン

野菜は大好きで嫌いなものはなかったので、なんでもよく食べてた。

お菓子やインスタントラーメンもよく食べていたな。


今思えば、この頃から食事に気をつけていれば、クローン病を発症していなかったんだろうか?

原因はわからなくとも、もともと発症しやすい体質だったとすれば、あとはこういう食生活が引き金になって発症した・・・ってことはないんだろうか?


クローン病の専門病院にいたとき、いろんな子に聞いたけど、ほとんどの人が、ファーストフードハンバーガーやお肉ブタが大好きな人だった。

一人だけ、そんなにお肉食べないし、魚をよく食べる・・・って人がいた。

じゃ、やっぱり食生活は関係ないんだろうか?


でも、別にクローン病に限らず、肉食の生活はやっぱり体にはよくないよねぶーぶー


私の病歴⑯(6回目の入院・皮膚瘻編その2)

●平成12年10月


クローン病専門病院である、H医大に転院した。

まず外来で皮膚瘻を診てもらった。

F先生は「ああ~、Sちゃんと一緒やなあ。やっぱり皮膚瘻ってドレーン創にできるんやなあ」って言われた。

そして、そのまま入院。


当時はレミケードの治験中だった。

レミケードは、日本より先に欧米で承認されている薬で、瘻孔や皮膚瘻などの外瘻によく効くと言われています。

投与開始2~4週間で効果が最大になり、1度の点滴でその効果が2ヶ月持続すると言われています。

もうすでに日本でも認可された薬であり、最近ではレミケードを使われたかたも結構多くいらっしゃいます。

そのレミケードの治験が、H医大でおこなわれていた。


治験には、誰でも参加できるわけではなく、一定の基準を満たしている人を対象に選ばれていた。

1日の下痢回数とか、外瘻があるかどうかとか、いくつかの基準があった。

どうも私はその条件にぴったりだったらしく、「治験させてほしい言われた。


治験は2つのグループに分けておこなわれ、Aグループは本物のレミケードを投与するグループ、Bグループは偽者のレミケードを投与するグループというふうになっていて、医者もどっちが本物を投与するグループか知らされないようになっている。

もちろん、治験終了後には、偽者を投与されたBグループにも本物のレミケードを投与するようになっているらしい。


ここで、私はかなり悩んだガーン

かなり悩んだ末、治験を断った爆弾


 断った理由

 1.単純に、怖かった。当然、副作用の面でもどんな危険があるのかわからず、将来的に結婚して出産したいという思いがあ        

   ったため、このレミケードがどんなふうに影響してくるかが予測できなかったため。

 2.もしも偽者を投与されたとき、治験終了後に本物を投与するとのことだったが、治験には1年くらいかかる。

   もしも偽者グループに入ったとき、1年後に本物を投与するということなら、この1年を棒に振るということになる。

   仕事があったため、一日も早く元気になって復職したかったため。


この選択が正しかったのかどうか結構悩んだが、その後2ヶ月で皮膚瘻が閉じたため、結果的に正しかったことになる。


さて、治験を断ってしまったので、どういう治療法でいくか・・・ということになったが、ペンタサ注腸を試してみることになった。

ペンタサは小腸から溶け始めるため、必要な量が直腸まで届いていないのではないか、ということで、ペンタサを水で溶いたものを浣腸のように毎日お尻から入れていた。

入れたペンタサの欠片が、皮膚瘻の傷口から出てきたこともあったので、ちゃんと薬は患部に届いていたと思う。


12月上旬まで、そんな毎日だった。

H医大には、遠方からきた患者も多かった。

宮崎県からきたYちゃんと仲良くなって、毎日楽しかった。

同じ病気の人がたくさんいるっていいなと実感した。

毎晩、消灯過ぎてもみんなでロビーでいろんな話をした。


大学病院の総回診は、本当に白い巨塔の世界だった。

当時の院長が、回診のときに「レミケードは?」と聞いた。

担当医師が「本人の希望で、取りやめました」と言った。

すると・・・・「治験しないんなら・・・」といい、担当医師も「はい・・・」と言った。

???

何のことだろうと思っていたら、治験しないならほかの病院へ移ということだったようだ。


確かに、大学病院はベッドの回転をよくしないといけないのはわかるが、治験を断ったからといってあからさまに追い出す院長に嫌気がさした爆弾

小腸造影の検査も研修医の練習台にされたが、恐ろしく下手糞で、死ぬほどの苦しみを味わった。

大学病院というところは、後進の医者を育てる機関でもあるので仕方ないのかもしれないが、重症状態で、専門医を頼って地方からやってくるのに、クローンを全くわかってない研修医が担当医なったり、本当に・・・がっかりだったガーン

とりあえず、私には合わないと思った。


F先生が、B病院への転院を勧めてくれた。

このH医大の近くにある病院で、このH医大でクローンを診ていた先生がそこにいるらしく、そしてこのF先生も週に1度その病院へ外来に行ってるからとのことだった。

私は迷わず転院を決意したメラメラ



そして、12月初旬。

B病院へ転院した。

お年寄りの多い、小さな民間病院といったかんじの病院だったが、もとH医大でクローンを診ていたというO先生のせいか、クローン患者が結構いた。

そしてそこに、Sちゃんがいたのだひらめき電球

最初に私の皮膚瘻を診て「Sちゃんと一緒やな~」って言われた、そのSちゃんだった。

同じ部屋で、歳も1~2歳違いだったのですぐに仲良くなったニコニコ

H医大で友達になったクローンの子も、何度かお見舞いに来てくれたりもした。

ペンタサ注腸は、こっちの病院にきてからも続けていた。

それが効いたのか、長期の絶食が効いたのかわからないが、皮膚瘻が閉じ始めたひらめき電球

少しずつカサブタになり始めたのだ!!



そして、最初の国立病院へ帰ることになった。

転院につぐ転院で、少しホームシックのようにもなっていて、疲れてもいた。

B病院のO先生も、元の病院へ戻ることに賛成してくれた。

そして、2ヶ月ぶりに元の病院へ戻ってきたのだった。

もう12月も下旬の、年末間近の慌しい時期だった。


しかし・・・入院したときは7月でセミが鳴いてたよな~・・・とか、ふと思い出してしまったガーン

そうそう、あのクローンの男の子はもう退院してしまっただろうな。

私がH医大に転院する日に入院してきた男の子。


そう思っていたら、まだ入院していると看護婦さんに聞いた。

しかも、個室にいる・・・・と。

え?何で?4人部屋にいたやん。

もしかして、そんなに悪いの?


彼は、クローン病のほかにもう一つ病気が見つかっていたのだ。


菜食元気

これ、いいよニコニコ

何がって?

タイトルの「菜食元気」っていうのは、全自動野菜スープメーカーの名前です。

姑さんが買ったんだけど、見た目はポットみたいなかんじ。

その中へ、小さく刻んだ野菜・水・コンソメの元なんかを入れてスイッチを押すと、30分ほどでスープの出来上がりです。


姑さんが職場に売りに来た商品を買ったんだけど、あまりにいいので一度使ってみたら?と貸してくださいました。

これなら緑黄色野菜もスープにして採れる、とビックリマーク


さっき、さっそく作ってみました。

かぼちゃとにんじんとほうれん草の緑黄色野菜スープを作ったんだけど、これが本当においしいラブラブ!

色は抹茶のように緑色だけど、これはほうれん草の色。

もう本当に粉々にくだけているので、狭窄の人も、腸につまる心配なし!

油分はコンソメの元に含まれている成分だけだから少量だし、これはいい!

重湯とお味噌汁だけの日々にもう一つメニューが増えたわドキドキってかんじです。

姑さんに感謝・感謝ですラブラブ!


私も買う~って思って、お値段聞いたら・・・18000円ほど?

ほぼ2万だな~ショック!

ちょっと、もうしばらく検討・・・かしらあせる


とりあえず、もう少しお借りしま~すべーっだ!



私の病歴⑮(6回目の入院・皮膚瘻編その1)

●平成12年7月~10月


ステントのおかげでイレウスからも開放され、仕事にも元気に行っていたある日、体に異変が起きた。

去年の7月にオペしたとき、1ヶ月も体にドレーンを入れていたその傷跡が腫れあがっているのだ。

その傷跡は、陥没したようになっていたのに、周りの皮膚と同じくらいまで盛り上がってきていた。

抑えると硬いシコリがあるようだ。

なんだかとっても嫌な予感がした。


1週間ほどすると、その傷跡の部分がさらに盛り上がってきていて、触るとブヨブヨしていた。

明らかに膿が溜まっているようす。

すぐに外科を受診して、切開・排膿してもらった。


なんで急にこんなとこが腫れあがってくるのか、先生にたずねた。

去年のオペで使った糸が体に合わなくて、1年経ってから膿んでくることはよくある」ということだそうだ。


信じられなかった。

だって、このドレーンの傷跡は、縫合していないのだ

ドレーンを抜いて、そのまま傷口は閉じたので、糸なんてつかっていない。

明らかにおかしい。

私の予感は・・・こういうときって当たるんだよなーしょぼん


切開・排膿から1週間たっても、傷口は閉じる気配もなく、なんだかわからないものがダラダラと流れてくる。

ずっとガーゼを当てたままだったが、ガーゼの汚れは段々増えてきていた。


もしかして・・・これが皮膚瘻!?

腸に穴が開いていて、そこと繋がっているのか?


その予想を決定的に裏付ける出来事があった。

外科の先生は私の皮膚瘻説を「そんなバカなことあるはずがない」と笑いとばしたが、ある日私は海苔のついたおにぎりを食べた。

そして、ガーゼを換えようとしたそのとき・・・

ガーゼに、とっても小さい海苔の欠片のようなものがついているのを見つけたのだ!!

それが海苔だという証拠はない。

なんせシャープペンでちょんと突いたくらいの大きさなのだ。

でもそれが私には間違いなく海苔に見えた。


やっぱり腸と繋がっている!

そう確信して病院へ行った。

内科のT先生は「くまっこがそう思うなら、僕は信じる。きっと皮膚瘻だと思う」と言ってくれた。

信じてくれたことは嬉しかったが、皮膚瘻という現実に涙が出た。


なんで?今度こそ元気になったと思っていたのに。

なんでこんなに毎年入院ばかり?

去年も一昨年も入院で長期で休んだのに、また入院しますなんて、職場に言えない・・・


こんなときも一番に脳裏を横切ったのは職場のことだった。


そして、7月下旬からまた入院生活が始まった。

こんなに職場に迷惑をかけるなら、もう潔く退職しようか・・・

初めて退職のことを考えた。


8月になった。

IVHで絶食のみ・・・というおきまりのコースの入院だった。

毎日することもなく、抜け殻のようになっていたが、いろんなことを考えるいい機会だった。


絶食にすれば、傷口から出てくる腸液の量は減ってきた。

でもなかなか閉じる気配は見られなかった。


検査は、傷口からガストログラフィン(造影剤)を流し入れて、それがどこへ流れていってるのか見るというものだった。

そのガストロは、どうやらステントを入れている小腸と直腸のつなぎ目に流れていっていた。

イレウスのために入れたステントが、強く広がりすぎて腸を破ったのか?

ステントを入れたことがアダとなったのか・・・・

でも確かにステントのおかげで、あの辛いイレウスから開放されたんだ。

選択は間違ってはいなかったと思う。


オペをしてステントを取り除く・・・・という方法もあったが、もうオペは嫌だった。

毎年3年続きでオペをするなんて絶対に嫌だった。

退職してもいいから、時間をかけて治したい意思を伝えた。

職場からは、退職なんて考えずに治療に専念するようにという温かいお言葉をいただいた。

「辞めるときはいつでも辞めれる」

そう思ったら、腰を据えて治療に専念する気持ちになった。


9月になって、少し排出液が減ってきたかな?ということで、エレンタールを再開した。

そのころ、この病院で初めて私と同じクローン病患者の女の子にあったひらめき電球


彼女は20歳の女の子らしい。

なんでも、いきなり腹痛で運ばれてきて緊急オペをしたらクローンだったことがわかったらしい。

いきなりのオペ+IVH+絶食+鼻チュー・・・で、ショックで毎日外科病棟で泣き暮らしているという。

彼女の主治医のF先生が、私に「彼女に一度会ってあげてもらえないか」と言った。

同じ病気の人に会えば、彼女も前向きになれるかもしれない・・・と先生は考えたようだ。

しかし、私の主治医T先生が激怒したパンチ!


彼女(私のことね)も、病人なんだ。自分の治療でいっぱいのときに、他人のことまで考えさせるなんて、くまっこがかわいそうだ。患者同士が偶然出会って仲良くなるぶんにはいいけど、わざわざ医者が二人を引き合わせるのは反対むかっ

ということらしい。


T先生の気遣いはありがたかったが、私は彼女に会いたかった。

そのときの私は28歳。発病して8年この病院に通っていた。

この病院で初めて仲間に会えるキラキラ

その気持ちでいっぱいだった。


彼女は色の白い、とってもかわいらしい女の子だった。

私も同じ20歳で発病だったから、彼女の気持ちはよくわかる。

私たちはすぐに仲良くなったが、彼女はその後間もなくして退院していった。

初めて同じ病気の人に出会えて、私も嬉しかったニコニコ


10月になった。

排出液も治まりつつあったので食事を再開したのだが、あっという間に元に戻ってしまい、T先生も悩んでいた。

正直に言って、クローン病で皮膚瘻っていうのがあることは教科書では習ったが、本物の皮膚瘻の患者を診たのはくまっこが初めてだ。これ以上、どうやって治療していいかわからない。退院して、このまま復職するか

と言われた。


ええ~~ガーン

それやったら、私何のために入院したん!?

2ヶ月半も棒にふったってことやん・・・・


そのとき、前から考えていたH医大への転院を申し出た。

先生、それなら、私クローン病専門のH医大病院へ転院してみていいですか?あそこなら専門病院だから、クローンの皮膚瘻患者もたくさんいるかもしれないし・・・


すると先生は「ほんまや!なんで僕気付かへんかったんやろ。あそこなら確かにそういう症例もたくさん経験してるだろうから、きっと治るよ。よし、行っておいで!


先生は気を悪くする様子もなく、本当に親身になっていろいろと転院準備を進めてくださった。

ほんとうにこのT先生は、患者の病気だけじゃなく心まで診てくれる先生だな~と実感した。


そして転院のために退院する日。

またまた私と同じクローン病の男の子が入院してきたという。

看護婦さんが教えてくれた。

28年間、私一人だったのに、今回の入院で急に2人も同じ病気の人に出会えるなんて!

どんな人か見てみたい!

そう思ったけど、もう両親が迎えにきていて、彼には会えなかった。


病棟を出るときに後ろを振り返ったら、ローカの一番向こうに点滴をしている男の子が立っていた。

彼だ。間違いない。多分あれはIVHか?

彼もこちらを見ていたが、遠すぎてお互い顔はよく見えない。

後ろ髪をひかれつつ、退院した。

そして、大きな希望を持ってH医大へ転院した。

私の病歴⑭(5回目の入院まで)

●平成11年10月~12月


しばらくの自宅療養を経て、仕事に復帰した。

復帰と同時に、異動になった。

新しい課は「住民生活課」の戸籍係


戸籍の係りだった同期のSさんが産休に入るため、その補充のためだった。

彼女は11月あたまに産休にはいるため、約1ヶ月で戸籍の仕事を引き継ぐ形になった。

市役所で一番お客さんが多いのは、戸籍や住民票、印鑑証明などのある市民課だろうと思う。

思ったとおり、朝から夕方まで立ちっ放し。

椅子に座れるのはほんのわずかだった。

それでも仕事は楽しかったニコニコ

私は仕事が根本的に好きなんだろうと思う。だから無理を重ねてしまうのだが・・・


しかし、今回の入院で、ちょっと学習した(もっと早く学習しろよガーン

どんなに身を削って一生懸命やっても、体を壊しちゃ意味がない。


「よく頑張ったね」「大変だったね」


そうやって声をかけてもらっても、それはそれでしかないのだ。

この痛みを変わってもらえるわけでもなく、体が元にもどるわけでもない。

自分の身は自分で守るしかない・・・と。



●平成12年1月


このころ、急激に腹痛に悩まされる。

潰瘍ができた腹痛ではなく、イレウス腸閉塞)っぽいのだ。

お腹が張って苦しくて、トイレでふんばってガスが出たらスッキリする・・・の繰り返しだった。

段々痛みも強くなり、病院へ駆け込むが、主治医のT先生は新婚旅行中でお休み。

代診の先生に診てもらうが、よくならない。

とりあえず入院だけは嫌だったので、食事を減らし、エレンタールを頑張った。



●平成12年2月


相変わらずお腹は痛い。

去年の7月のオペで縫い合わせた、小腸と直腸の境目が狭窄を起こしているようだった。

この頃、T先生にバルーン拡張をしてもらう。

お尻からカメラを入れ、狭窄部分でバルーンを膨らませて腸を広げる。

そうすると、その後すぐにたくさんのガスが出て、痛みは嘘のように治まるのだ。

一度バルーン拡張をしてもらえば、2週間近くもった。

しかし、徐々に元に戻っていくのか、その間隔も次第に狭くなっていった。



●平成12年3月


この頃になると、バルーン拡張しても1~2日しかもたなくなった。

腹痛はかなりひどく、動けないほどだった。

T先生は、いろいろ考えた結果、ステントを挿入しようと言い出した。

ステントとは・・・針金のような金属でできていて、それを使って狭窄部を広げるというものだ。

動脈硬化の人が血管内にステントを留置して狭窄部を広げたり、食道癌などで食道に狭窄がある人にステントを留置して広げる・・・といったときに行われる治療法で、腸管には適用されていなかった。

しかし、狭窄をほっておくわけにもいかず、かといって再手術をしても、結局吻合部からまた狭窄をおこすのは目に見えている。

今回の狭窄部分は、カメラで届く範囲だったというのもあり、ステント治療を受けることにした。



●平成12年4月


ステント留置のため、1週間ほど入院した。

これが5回目の入院になる。

処置自体は何の問題もなく、無事に終わり、退院した。

このステントは、一度留置すると、オペで取り除かない限り、一生体の中に入ったままだ。

しかし、このステントのおかげで、イレウス症状は嘘のように治まったキラキラ

こんどこそ元気になれる!

そう信じていたけれど・・・


このステントがまた新たな問題を呼び起こすのだった爆弾

こんにちは赤ちゃん♪

って、言ってももちろん私の赤ちゃんではないガーン

私の大学時代の友達である、Nちゃんが出産したクラッカー


彼女はクローン病でもなんでもなく、健康な普通の女性です。

私と同じ年齢なので、34歳になります。

34歳で初産だったのですベル


私は、大学1~2年生の間は寮生活を送っていたんだけど、1年生のときは二人部屋だった。

二人部屋の相方がこのNちゃんです。


大学は神戸市内だったのですが、彼女はなんと群馬県からやってきていた。

なので、普通に標準語を話す彼女にとって、強烈な関西弁の中に放り込まれたときは、さぞかし恐怖を感じたことだろう。


彼女はとてもおしとやかで、優しくて、いまどきの女性ではなかった。

その大人しい性格からか、大学時代も浮いた話の一つもなく、もったいないな~と思っていた。


そんな彼女は、就職で、実家のある群馬県へ戻った。

卒業してからもう12年も経つけれど、ずっと手紙やメールのやりとりで連絡を取ってきていた。

そんな彼女も2年ほど前に結婚した。

そして、念願の赤ちゃん誕生となったわけです流れ星


彼女は、大学の頃からきちんと産婦人科にかかっていたのか、「私は妊娠しにくい」と言っていた。

結婚が決まったときも、「もし子供がもてたらいいね~と漠然と思っているけど、多分無理だろう」的なことを手紙に書いていた。

しかし、何のことはない。

結婚して1年で妊娠発覚ひらめき電球

凄く驚いたそうだが、本当によかったと思うニコニコ

私も、いつかは一人は産めたら・・・と思っているけど、こう毎年入退院繰り返してちゃ・・・ねガーン

とりあえずは早く職場復帰できるように頑張らないとビックリマーク


Nちゃんの幸せを、心よりお祈りしますキラキラ


受給者証

クローン病の受給者証、今年はまだ届いていません。

私は重症認定を受けているんですが、今年はなかなか受給者証が届かないので、多分重症認定から外れるんじゃないかな~と思います。


・・・・そう思っていたら、今日保健所から通知が。

思っていた通り、重症認定から外れるというもの。


まあねえ・・・多分仕事をしている時点でアウトなんだろうなとは思います。

でも、実際収入がないと生活していけませんからね・・・


クローン病の重症認定を受けるためには、

身体の機能の障害又は長期にわたる安静を必要とする病状で、日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる程度の状態が6ヶ月以上継続する者(身体障害者手帳1、2級程度)であるうえで、更に厚生省の定める重症認定基準を満たすこと

が必要らしい。


・・・なんでお役所言葉って、こうも理解しづらいんでしょうか爆弾

役所に勤めている私がいうのもなんですが、仕事をしていてもいつも矛盾を感じます。

市民のかたに理解していただくために、もっと噛み砕いて説明するのが大変です。

日常生活の用を弁ずる」なんて、普段の会話でする!?

こんな回りくどい言い方、分かるわけないじゃんプンプン


と、まあ本題から外れちゃうのでこのへんにしときますが。

重症患者って・・・もうほとんど寝たきりに近く、日常生活もままならないくらいじゃないと駄目なんでしょうね。

これほど毎年入退院やオペを繰り返していても、たぶん仕事をしている時点で「働けるなら重症じゃないやん」ってなるんでしょうね。

まあ、仕方ないかと思うので、支払いはキチンとするつもりだし、保健所に食ってかかるつもりもないです。

だけど・・・受給者証、いつ来るの!?

今日は、重症認定から外れましたっていう通知だけで、受給者証は来てなかった。

もうすぐ10月なのに、はやくしてよねっ!パンチ!

私の病歴⑬(4回目の入院・その2)

●平成11年7月


オペを2週後に控えて、気分はブルーだった。

考えても仕方のないことだが、去年オペして1年しかたっていないのに、またオペ・・・というのが嫌だった。

また今以上に悪くなるんじゃないのか・・・

私は一体、何のために生まれてきたのか・・・

そういう、考えても仕方のないことがグルグルと頭の中を巡っていた汗


そんなとき、当日のオペ担当の看護婦さんが、説明にきてくれた。

なんと、去年一緒の病室にいたTさんだった。

偶然にも、私のオペ担当だという。

少し心強くなったキラキラ


Tさんは、1冊の本を貸してくれた。

タイトルとか、もうすっかり忘れちゃっててうまく説明できませんが、人間の生まれ変りについて書いてある本だった。

はっきり言って、私は何の宗教にも興味がない。

でもこの本はおもしろかった。

要約すると、人間はみんな自分で自分の人生を決めて生まれてくるという。だから、病気で辛い人生も、自分で決めて生まれてきたのだ。辛いけれど、この世で自分の人生を全うし、死んであの世に行ったとき、もっと高等な魂になれる。そうやって自分で修行をするために、自分で辛い人生を選んで生まれてきている・・・・

そういうような内容だった。


信じる・信じないは別として、素直に「そうなのか」と思えた。

今のこの状態も、自分で決めた人生なら、どんなに辛くても乗り越えられるはず。

不思議だけど、自然にそう思えた。


7月上旬。外科病棟へ移り、いよいよオペの日を迎えた。

一度目のオペで、お腹の中は癒着していると思われるので、今度は、腹腔鏡は使えない。

大きく開腹してのオペになる・・・と言われた。

傷なんてどうでもよかった。


大きく開腹したせいか、手術自体は3時間ほどで終わったそうだ。

やっぱり、大腸に穴が開き、十二指腸にも穴が開き、この2つが腸間膜を突き破って繋がっていたそうで、先生がたも「これでよく仕事に行けたな。よく生きてたな。」と驚いていたそうだ。


穴の開いていた大腸は切除し、十二指腸のほうは穴を縫って閉じたそうだ。

これで、小腸からいきなり直腸に繋ぐわけだが、このままではトイレに頻回に通うようになるということで、小腸の終わり部分がWの形になるように縫い付ける、いわゆるWパウチを作り、それを直腸と吻合した。

これで、一時的に便はWの部分に溜まるようになるので、トイレに行く回数は、1度目のオペのときよりも少なくなった。

本当は、パウチもクローン病では向かないそうだが、ストーマになるのが嫌だと言ったために、外科の先生が考えてくださったようだ。


ただ・・・術後の痛みが最悪だった。

術後3週間以上、高熱と腹痛が続き、毎日泣いていた。

あまりにも酷い状態のため、術後1週間して始めて歩いたほどだった。

前回のオペでは、術後すぐに歩けと言われたのに・・・

腸の吻合部の治りが悪いのか、ドレーンもなかなか抜くことができず、3週間以上入っていた。

ドレーンとは、お腹の中に管を入れ、腹腔内に溜まった血液や体液なんかを外に排出するためのものです。

この管が入っているために、痛くて寝返りが打てなかったり、本当に辛かった。


この頃は本当に精神的にもまいっていて、夜中になると痛みで眠れず、ナースコールを押した。

痛み止めを打ってもらっても全然効かず、毎日泣き暮らしていた。

また元気になって仕事にいける自分を想像することができなかった・・・


術後、1ヶ月近くなって、レントゲンの結果、もうドレーンを抜いてみようということになった。

このドレーンを抜いた途端、痛みが和らぎ、毎晩眠れるようになった。

やっと個室から大部屋へ移動でき、精神的にもかなり楽になった。


そして、8月下旬になり、内科病棟へ移った。

エレンタール1包からゆっくりはじめ、少しずつ速度と濃度を上げていった。

同時に食事も重湯から出始めた。

プレドニンを切ってほしかったが、それは無理だった。

そして内科で1ヶ月ほどいて、9月末頃に退院できた。


今回の退院は、前回と違って、痛みも熱もなく、本当に元気になれたのが嬉しかった。

体重は36キロくらいになっていて、スカートもジーンズもウエストがゴソゴソ。

服を買い換えなくちゃいけないほどに痩せていた。


今回の入院で思ったのは、オペをするなら少しでも体の状態がいいときのほうがいいということだひらめき電球

体重があり、栄養状態がいい状態でオペしたほうが、術後の回復が早いビックリマーク

今回の私のように、体重も減り、栄養状態最悪のときにオペをすると、術後かなり苦しむことになるあせる

今回の入院では、本当にそれを学習できたと思った。